東京地方裁判所 昭和27年(合わ)125号 判決 1958年12月11日
被告人 高田長祥 外四名
主文
本件各公訴事実につき、被告人高田長祥、同鹿島千代治、同伊藤長造、同玉井岩甫及び安藤実はいずれも無罪。
理由
一、被告人高田長祥関係
(一) 被告人高田長祥に対する本件公訴事実の要旨は
被告人高田長祥は、法務府事務官にして、昭和二十五年十月以降東京法務局渋谷出張所所長として、同出張所の不動産登記及び商業登記事務全般を統轄し、同出張所勤務の事務官、雇を指示監督して同出張所構内及び構外の司法書士等から提出される登記申請書の受理、調査及び記帳をなさしめ、自ら登記官吏として登記申請書類を審査し、該申請書に登録税として貼付されている収入印紙又は取引高税印紙の数量及び真正品なりや否やの点について審査確認したうえ、これに消印をなす等の諸般の職務を有するものであるが、前記渋谷出張所構内に収入印紙売店を有する収入印紙売捌人権正永吉から同人が同出張所構内及び構外の司法書士等に販売している消印を除去した不正な収入印紙及び取引高税印紙をこれら司法書士等をして同出張所に提出すべき登記申請書に登録税納付のため貼付して使用せしめていることを黙認して貰いたい旨の請託を受け、その趣旨で供与されるものであることを知りながら
(1) 昭和二十六年七月中旬ごろ東京都渋谷区東京法務局渋谷出張所において現金一万円の供与を受け
(2) 同年十二月二十日ごろ前記同所において現金二万円の供与を受け
もつて、前記職務に関し、請託を受けて賄賂を収受したうえ、同年七月ごろより昭和二十七年三月に至る間前記東京法務局渋谷出張所において、司法書士十数名から提出される不動産登記及び商業登記申請書に前記権正永吉が販売した消印を除去した収入印紙及び取引高税印紙が貼付されているのを黙認して受理し、よつて職務上不正の行為をなした(被告人高田に対する昭和二十七年六月二十一日付起訴状記載の事実)(なお検察官は、第二十八回公判期日〔記録第七冊〕において、右不正行為につき「権正永吉等の販売にかかる取引高税印紙等が消印を除去した疑いのためこれを貼り替えさせるべきや否やを決定するに際し、当該印紙に消印除去の痕跡の顕著に認められない限り、これを真正のものとして受理して有利な取扱いをし、次席鹿島千代治にも同様の取扱いをなさしめた」と釈明している)ものであるというのである。
(因みに、以下各被告人に対する各公訴事実を検討するに際して、挙示する証拠のうち、単に「各被告人……の供述」とあるのは、当該被告人の当公判廷における供述及び公判調書中の供述記載を、単に証人……の供述ないし……証言とあるのは当該証人の、当公判廷における供述及び公判調書中の供述記載を指称、「(第、回)」として、当該公判期日の回数を註記する。また、単に「調書」ないし「供述調書」とあるのは、すべて検察官に対する供述調書を指称し、「(第、回)」として当該供述調書の回数を註記し、作成年月日は、例えば昭和二十七年六月十二日付のものについて「27・6・12」というように表示する。なお、「(第、冊)」とあるのは、当該証拠が編綴されている記録の冊数を示す)。
(二) 被告人高田の職務権限について
東京法務局長鈴木信次郎作成の「元法務事務官伊藤長造外五名の職歴について(回報)」と題する書面(添付の履歴書六通中、被告人高田に関する分を含む)(第三冊)、同人作成の「高田長祥及び鹿島千代治の職務内容等について照会の件(回答)」と題する書面の謄本(第三冊)、被告人高田の供述(第一回〔第一冊〕第三十三回〔第十冊〕、第三十四回〔第十一冊〕及び第四十一回〔第十五冊〕)、被告人高田の27・6・2及び同6・9調書(第九冊)によれば、被告人高田長祥は、法務府事務官として、昭和二十五年十月十四日東京法務局渋谷出張所所長を命ぜられ、爾来昭和二十七年六月二十一日休職を命ぜられるまで、同出張所長として、同出張所の事務を統轄掌理し且つ所属の職員を指揮監督するとともに、登記事務取扱官吏として、事務補助者を指揮監督して、同出張所構内及び構外の司法書士等から提出される不動産登記及び商業登記申請書の受付、調査及び記帳をなさしめ、自らも登記申請書類を審査し、該申請書に登録税納付のため貼付してある収入印紙又は取引高税印紙の数額及びその真正品であるかどうかにつき審査確認したうえ、これに消印を施して受理する等審査、校合に関する諸般の職務を有していたことを認めることができる。
(三) 被告人高田と権正永吉との知合関係及び金員の授受について
(1) 証人権正永吉の供述(第九回ないし第十一回)(第四冊)、権正永吉の、27・5・26、同5・29、同7・2(第一回及び第三回)、同7・24及び同11・18調書(第八冊に編綴してあるのは、いずれもその謄本)によれば、権正永吉は、昭和十四年ごろ以来、東京急行電鉄株式会社用地課登記係として勤務し、同会社の不動産売買、抵当権設定、等に関する登記申請事務に従事し、東京都下の多くの登記所(当時は、東京区裁判所管下の各出張所)に出入していたが、登記申請手続を、円滑に、取り運ぶためには、直接登記所職員の指導を受けて、同申請事務を、習得するにしかずと考え、日頃から、できるだけ、同職員らと懇意の間柄となるように努め、同会社より支給を受ける費用をもつて接待費や手土産代に充て、同職員ら又はその家族の、冠婚葬祭の際の付届けや病気見舞、盆暮の贈答等に意を用いていたため、各登記所職員らより好意を持たれるようになり、その登記申請事務は極めて円滑に処理されるようになつたこと、その後、昭和十八年ごろ権正永吉は当時の東京区裁判所渋谷出張所長の懇請により、同出張所庁舎及び付属の所長用宿舎を前所有者より買い受け(但し、買受名義は妻の父竜野亘名義)、これを引続き同区裁判所(昭和二十二年五月より東京司法事務局、昭和二十四年六月より東京法務局所管となる)に貸与し、同時に同出張所構内における印紙売捌人としての認可を右竜野亘名義で取得し、爾来、泉屋キヨノなる者を使用して、同出張所構内及び構外の各司法書士等に収入印紙を売り捌かせ、その売上事務整理のためもあつて、毎日のように同出張所に出入していたこと、権正永吉は終戦後も引続き、前記建物の所有者として昭和二十六年四月ごろまで毎月二十八円の家賃を受領する一方、右建物を維持するにつき、毎月二十六円の地代を支払うほか、修繕費、固定資産税等として毎年少くとも四、五万円を支出していたこと、権正永吉は昭和二十三年前記会社を退職し、都内渋谷区中通三丁目に株式会社東横不動産部を設立して、常務取締役に就任し、主として不動産売買を業としていたが、昭和二十四年六月一日より「郵便切手類売さばき所及び印紙売さばき所に関する法律」(昭和二十四年法律第九十一号)が施行せられ、印紙売捌人が郵政大臣より支払を受けるべき手数料は、一ヶ月最高一万千百円を限度とし、売捌人が郵政省より売渡を受ける印紙の売渡月額が百万円を超える分については、何らの手数料をも得ることができないこととなつたので、権正永吉は右手数料だけではとうてい前記建物の維持費及び使用人泉屋に対する給料を支弁することができないようになつたこと、ときあたかも昭和二十四年法律第四十三号酒税法の一部を改正する法律附則第十五項の規定により「印紙をもつてする歳入金納付に関する法律」(昭和二十三年法律第百四十二号)の一部が改正され、昭和二十四年五月一日より当分の間、収入印紙に代えて、取引高税印紙をもつて登録税等を納付することができることとなつたが、同年秋ごろから昭和二十五年八月ごろにかけて頻繁に新聞紙上に取引高税印紙買入れの広告が掲載されるようになり、司法書士の間においてもこの種印紙を買い受け使用する向きが漸次増加しこれについて、前記渋谷出張所構内の印紙売捌所扱いの収入印紙の売捌額が著しく減少するに至つたので、かねてより右取引高税印紙の取引により莫大な利益を挙げ得べきことを聞知していた権正は、自己が前記渋谷出張所構内の印紙売捌人である立場を利用して、取引高税印紙の売買により利益をあげるとともに、当時土地台帳及び家屋台帳事務の移管に伴い増築方を依頼されていた同出張所庁舎の増築費用を捻出しようと考え、昭和二十五年五月ごろより前記株式会社東横不動産部のほかに、同年暮ごろまでは印紙取引のため特に都内中央区日本橋通三丁目に開設した同会社臨時事務所において取引高税印紙及び収入印紙の取引を行うに至つたこと、しかして右権正はその間遅くとも、昭和二十六年五、六月ごろには自己の取引する印紙のうちに消印を除去した再使用のもの等の不正品が混入しているのではないかとの懸念を抱くようになつたが、それにもかかわらず、その後引続き昭和二十七年四月三日印紙犯罪処罰法違反の嫌疑によつて北沢警察署に逮捕されるまでの間、多数の印紙ブローカーから額面合計八千三百万円ぐらいの取引高税印紙及び収入印紙を額面の五割ないし八割ぐらいの価格で買い受け、これに平均一割ぐらいの利潤分を加算して、これを渋谷出張所その他東京法務局管下多数の出張所内外の司法書士や、また一般会社の登記係員等に販売し、約八百万円に上る利益をあげていたことを認めることができる(これらの認定の事実は各被告人につき共通であるから、以下単に一、(三)(1)の事実として引用する)。
(2) 前記権正永吉証言(第四冊)、権正永吉の27・5・29、同6・4、同6・12及び同6・21調書(第八冊に編綴してあるのは、いずれもその謄本)、被告人高田の供述(第三十三回及び第三十四回)(第十冊及び第十一冊)、同被告人の27・6・2(添付の事件送致書とも)及び同6・9調書(第九冊)によれば、被告人高田は昭和二十五年十月ごろ東京法務局渋谷出張所長として同出張所に赴任するに際し、前任所長である岡部義弘より同出張所庁舎及び付属の所長用宿舎の所有者であるとして権正永吉を紹介されて爾来同人と面識を得、次いで権正は同被告人の着任と同時に右宿舎の畳替え等を行い、また、同出張所に書棚等を新設するなどして尽力するところがあつたこと及びその後、同被告人は権正永吉より昭和二十六年七月中旬ごろ同出張所において現金一万円を中元名義で、同年十二月二十日ごろ同所で現金二万円を歳暮名義で、いずれも中元ないし歳暮の趣旨を表記したのし袋入りのままで贈与を受けたことを認めることができる。
(四) 被告人高田と権正永吉間に授受された右金員の趣旨について
(1) 証人吉田馨の供述(第十二回)(第五冊)、吉田馨調書(第五冊に編綴してあるのはその謄本)、印刷庁研究所長大蔵技官中西篤作成の鑑定書(印刷庁長官作成の「収入印紙及び取引高税証紙の鑑定について(回答)」と題する書面に添付のもの)(添付の別紙明細表を含む)の謄本(第三冊)、佐伯薫の27・6・24調書(第五冊に編綴してあるのはその謄本)及び領置してある東京法務局渋谷出張所不動産登記申請書類綴込帳計十五冊(昭和三十一年証第九号の十四)(証拠物件目録は第三冊に編綴、以下同じ)によれば、昭和二十七年三月一日より同月三十一日までの間に東京法務局渋谷出張所に提出された不動産登記申請書に登録税納付のため貼付されている収入印紙又は取引高税印紙中には、権正永吉の販売にかかることが窺われ且つ化学的又は物理的処理により消印を除去した再使用のものが収入印紙額面合計七十三万三千五百円(吉田馨が代理して申請し又は代書した申請書に貼付のものならびに昭和二十七年三月十一日受附、受付番号第四、二二一号の申請書に貼付してある額面千円の収入印紙中、左側二枚及び右側上より四枚目と五枚目を除いた計六枚)、取引高税印紙額面合計二十九万千円(吉田馨が代理して申請し又は代書した申請書に貼付のもの)に上ること(なお、前記三月分の申請書には右印紙のほか、右額面より遥かに多額の消印除去の印紙が貼付されていること)及び右申請書は被告人高田又は同鹿島によつて審査、校合、受理されていること(なお、被告人鹿島が右印紙の貼付されている申請書につき調査、校合したのは昭和二十七年三月二十六日までであること)を認めることができる。
ところで、権正永吉証言(第四冊)、権正永吉の27・5・26、同5・29、同7・2(第一回)調書(第八冊に編綴してあるのはいずれもその謄本)、橋本文雄調書謄本(第三冊)吉田馨調書(第五冊に編綴してあるのはその謄本)佐伯薫調書及び小林東八調書(いずれも二通)(第五冊に編綴してあるのはいずれもその謄本)によれば、昭和二十七年二月以前においても、権正永吉の販売にかゝり且つ消印を除去した再使用のものと疑われる印紙を登録税納付のため貼付した不動産登記申請書が前記渋谷出張所に提出されていたことを窺うことはできるけれども、司法警察員警部補山田富士人作成の捜索差押調書(添付の押収品目録及び細目表とも)の謄本(第三冊)によれば、昭和二十七年五月七日同出張所において司法警察員により昭和二十六年三月一日より昭和二十七年四月三日に至るまでの不動産登記申請書綴込帳合計二百七十三冊が押収されているのが明らかであるにもかかわらず、前記の昭和二十七年三月分を除くその余の分について果してそれら申請書に貼付してある印紙が消印を除去した再使用のものであるかどうかに関する鑑定がなされた形跡を窺うことができず、前示各証拠だけをもつてしては、右申請書に貼付してある印紙のうちのいかなるものが消印を除去した再使用のものであつたかを確認することができない。(現にこの点を考慮のうえ、第二十六回公判期日において当裁判所より検察官に対し被告人高田、同鹿島にかかる加重収賄の要件たる不正行為の内容を具体的に特定明示することが可能かどうかについての釈明を求めたのに対し、第二十八回公判期日において検察官はいかなる印紙について不正な取扱いをしたかということを具体的に特定することはできない旨を述べている)。
(2) 権正永吉の27・5・29、同6・4及び同6・12調書(第八冊に編綴してあるのはいずれもその謄本)、被告人高田の27・6・9及び同6・19調書(第九冊)によれば、一見、被告人高田が権正永吉より前記一、(三)、(2)に認定した金一万円及び二万円の贈与を受けた当時、右各金員が前記一、(一)の公訴事実に掲記のような趣旨で供与されるものであることを知つていたかのように思われるふしぶしがないともいえないもののようである。しかしながら、他方、権正永吉証言(第四冊)、権正永吉の27・6・4同6・12及び同6・21調書(第八冊に編綴してあるのはいずれもその謄本)、被告人高田の供述(第三十三回及び第三十四回)(第十冊及び第十一冊)、同被告人の27・6・2(添付の事件送致書とも)、同6・9及び同6・19調書ならびに司法警察員に対する昭和二十七年六月一日付供述調書によれば、被告人高田は昭和二十六年秋ごろ権正永吉に対し前記出張所で、消印除去の再使用にかかる印紙の取扱いをしないよう注意を促したほか、消印除去の痕跡が看取された印紙について貼替えを命じたことがあり、また、そのころ権正に対し、同人の販売にかゝる印紙の貼付されている登記申請書については、同人の使用人である泉屋キヨノにおいて右印紙を申請書に貼付する際、その末尾に同女の認印を押捺してその責任を明確ならしめるように申し入れ、権正永吉においても、同人自身の抱いた他の思惑は別として、一応右趣旨を了承のうえ、約二ヶ月に亘りこれを実行していたこと、被告人高田は同出張所に赴任するまで約一年半に亘り東京法務局練馬出張所長として勤務していたが、同出張所においても私人所有の家屋を庁舎として借り受け使用しており、その間、庁舎所有者より中元ないし歳暮として現金二、三千円ぐらいの贈答を受けていたほか、時おり主食、副食物の贈与にも与つていたような経緯もあつて、事の善悪は別として当時における登記所内外の風習になずみ、同被告人においてもかかる金品の贈答を個人的関係による好意的な贈り物として安易に受け取る傾きがあつたこと、現に被告人高田は前記渋谷出張所に赴任直後の昭和二十五年十二月ごろ同出張所で、いわば家主の関係にある権正永吉より歳暮名義で現金一万円を贈られているほか、同年十一月ごろ及び翌昭和二十六年中にも他の職員らとともに権正永吉宅に招待を受けたことなどがあつて、交際上手な同人と知らず知らずのうちに相当親密な個人的関係を結ぶようになつていたこと、地方、権正永吉は被告人高田の前任者である岡部義広に対し、昭和二十二、三年ごろより中元ないし歳暮を贈与するのを例としていたが、昭和二十四年暮及び翌昭和二十五年夏にそれぞれ現金三千円ぐらいを贈つているほか、別にまた毎月米一斗ぐらいずつを同人宅に贈り届けていたこと、更に前記渋谷出張所においては、被告人高田の赴任当時、人手不足や登記事務の累増、とりわけ昭和二十五年七月ごろ土地台帳及び家屋台帳事務が税務署より移管されたのに伴い、不動産登記事務は著しく渋滞して外部関係者の非難を招きまた、昭和二十六年七月商法の一部改正に伴い商業登記申請も急増するに至つたが、その間にあつて同被告人は他の職員を指揮して機動的に事務分担を定めるとともに、自ら率先して休日勤務、時間外勤務を強行して他の職員らを駆使する半面、僅少の渡切費ではとうてい賄いされない出費を自ら負担して過労に苦しむ部下職員らを慰撫激励する等上下一致協力してひたすら堆積する事務の一掃に熱中していたため、当時既に後記のとおり、屡次にわたつて東京法務局長又は同局行政部長等の名義をもつて不正取引高税印紙の発見摘発に鋭意努力すべき旨の通達が発せられていたにもかかわらず激務に忙殺されて、ともすれば申請書に貼付されている印紙が消印を除去した再使用のものであるかどうかを慎重に調査、識別するだけの十分な時間的余裕さえなかつたのではないかと思われるような状況であつたこと(この事実は証人鈴木信次郎の供述〔第二十六回、第七冊〕及び第二十四回公判期日で取り調べた昭和三十年七月四日の別件公判期日における証人鈴木信次郎公判速記録〔第七冊に編綴してあるのはその写〕ならびに昭和二十五年十二月十八日付東京法務局長鈴木信次郎名義、法務府民事局長村上朝一宛「収入印紙に代えて取引高税印紙をもつてする登録税等の納付について」と題する書面の謄本(東京法務局民事行政部長渡辺源左衛門作成の通牒通達謄本集の謄本〔第三冊〕中のもの)によつても明らかである)(なお、前記一、(四)、(1)前段に認定の申請書に再使用の印紙が貼付されている状況も右執務状況を窺わせるものといえよう)を認めることができるし、他方、証人高田幸子は当公判廷(第四十回)(第十四冊)において、被告人高田が権正永吉より贈与を受けた前記金員については三回に亘りその都度それぞれその半額程度の価額に相当する品物を購入して返礼に充てた旨を供述し、被告人高田も、また、これに符合する供述(第三十三回及び第三十四回)(第十冊及び第十一冊)をしており、証人権正永吉も右趣旨に添う供述(第九回及び第十一回)(第四冊)をしているのであつて、右証人高田幸子及び被告人高田の各供述は返礼に充てたという品物の数量、単価、買先等の細部に至るまで符節を同じくしているので、この点かえつて、やゝ不自然さを感じさせるものがないわけでもないのであるが、さればといつて、右弁解を反ばくすべく検察官側から提出された立証の内容を吟味してみても、いまだ一概に右各供述を仮装虚偽のものとして排斥してしまうこともできないのであつて、これらの事実に前記一、(三)、(1)及び(2)に認定した事実を考え合わせると、前記一、(四)、(2)の冒頭に掲げた各証拠だけをもつてしては、被告人高田が権正永吉より前記一、(三)、(2)の金一万円及び二万円の贈与を受けた当時、右各金員が前記一、(一)の公訴事実掲記のような趣旨で供与されるものであることを知つていたものと速断することは許されないものといわなければならない。
(3) もつとも、権正永吉の27・7・2(第一回)調書(第八冊、謄本を編綴)によれば、同人が販売した印紙類のうち消印を除去した再使用のものと疑われる分は、印刷インクが褪色、もしくは変色して、表面の光沢に乏しく、且つ裏糊も付いていない等の外観的特異性を有していたことを窺うことができるし、また、前記一、(四)、(1)冒頭に掲げる各証拠によれば、前記一、(四)、(1)前段に所掲の各印紙(昭和二十七年三月中に提出された申請書に貼付の分)、特に額面千円の収入印紙のなかには、地紋模様が消失し、印刷インクも褪色もしくは変色して、表面の光沢に乏しい等の外観的特異性を示しているのみならず、同一申請書に貼付してある同一種類の印紙の間においてさえ濃淡の度さまざまに色彩を異にしているものが数多く見受けられること、東京法務局民事行政部長渡辺源左衛門作成の通牒通達謄本集の謄本(第三冊)によれば、昭和二十五年九月以降昭和二十六年十一月に至るまでの間、屡次にわたり、東京法務局長又は同局民事行政部長名義をもつて同局管内各出張所長等に対し、消印除去の再使用又は偽造の取引高税印紙が発見されたから、これら不正印紙の発見摘発につき格段の注意を喚起する趣旨の通達が発せられていることが認められるけれども、鈴木信次郎証言(第二十六回)(第七冊)、田中喜一郎に対する印紙犯罪処罰法違反被告事件の第四回公判調書謄本中、証人町田欣一の供述記載(第三冊)、被告人高田の供述(第三十三回及び第三十四回)(第十冊及び第十一冊)によれば、本件当時未使用の印紙にも色彩の濃淡を異にするものがあつたこと、登記申請書に貼付の印紙に裏糊が付いているかどうかは該申請書の提出を受けた前記渋谷出張所職員にとつてこれを覚知する余地がなかつたこと、東京法務局長ないし同局民事行政部長名義の前記通達において、いわゆる不正印紙識別の基準が具体的に示されたことないしは収入印紙に関する取扱上の注意に言及されたことはいずれもなかつたことが認められるから、これらの事実と前記一、(四)(2)に認定した前記渋谷出張所における当時の執務状況とを考え合わせると、本項前段に認定したような事実があるからといつて、これがため前記一、(四)、(2)末段に示した証拠判断を左右するものではない(なお、前記一、(四)、(1)前段に認定の被告人高田のした登記申請書の調査、校合の行為は、前記一、(三)、(2)に認定した本件起訴にかかる金一万円及び二万円の各贈与を受けた時期とかなり時間的間隔を置いてなされているのであるから、その間に果して因果関係の存在を認めることかできるかどうかも疑問であるといわなければならないし、また被告人高田において右調査、校合に当り同申請書に貼付の各印紙が権正永吉の販売にかかるものであることを認識していたと認めるに足りる確証はない)。
(4) 次に領置してある新聞記事写真(昭和三十一年証第九号の十八)によれば、昭和二十六年一月以降昭和二十七年二月ごろに至るまでの間において、いわゆる不正印紙事件の被疑者検挙の記事が朝日(一部は神奈川県版)、毎日、読売等の中央紙上でしばしば報道され、特に昭和二十六年十月川崎警察署において検挙した不正印紙事件は各紙上に大きく報道されたことが認められるし、また被告人高田の27・6・9及び同6・19調書(第九冊)によれば被告人高田が当時右川崎事件に関する新聞記事を読んでいたことを窺うことができるけれども、このこと自体は、前記一、(四)、(2)に認定した事実と対比して考えると、被告人高田において、これにより当時権正永吉の販売する印紙類が消印を除去した再使用のものであることを察知するに至つたものと推断せしめるに足りるだけの十分な資料とはいい難い。なお、泉屋キヨノの27・6・6調書(第八冊に編綴してあるのはその謄本)、被告人高田の27・6・9調書(第九冊)によれば、被告人高田において権正永吉が逮捕されたことを聞知した直後、泉屋キヨノに対し、同女の手もとにある印紙売上に関するメモ類を破棄するよう指示した事実があることを窺い知ることができるけれども、この事実は、前記一、(三)、(1)に認定したように、権正永吉が昭和二十七年四月三日印紙犯罪処罰法違反の嫌疑で逮捕された後のことに属し、また、被告人高田がどのような意図の下に右メモ類を破棄するよう指示したのかは証拠上必ずしも明確ではないから(現に前記被告人高田調書には泉屋キヨノが権正永吉の受けている嫌疑とかかり合いにされると気の毒だという趣旨で右メモを破棄するように告げた旨の記載がある)、結局、この事実も、また、被告人高田においてかねてより権正永吉の販売にかかる印紙が消印を除去した再使用のものであることないしはその疑いがあることを察知しながら職務上故意にこれを黙認していたものと断定せしめるに足りるだけの十分な資料とはなし難い。(なお被告人高田が権正より前記一、(一)の公訴事実に掲記のような請託を受けたことを認めるに足りる証拠はどこにも見当らない。)
その他、被告人高田が権正永吉より前記一万円及び二万円の各贈与を受けた当時、右各金員が前記一、(一)の公訴事実掲記のような趣旨で供与されるものであることを知つていたとの事実を肯認せしめるに十分な証拠はなく(かえつて、叙上説示の事実関係に徴すれば、権正永吉の真意いかんは別として、少くとも被告人高田においては前記昭和二十五年十二月ごろ歳暮としてもらいうけた金一万円と同様、本件各金員も、また、自己の職務とかかわりのない中元ないし歳暮としてこれを受納したものであることを窺うことができる)、同被告人に対する本件公訴事実はこの点においてその証明が十分でないことに帰着するから、刑事訴訟法第三百三十六条により同被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。
二、被告人鹿島千代治関係
(一) 被告人鹿島千代治に対する本件公訴事実の要旨は
被告人鹿島千代治は、法務府事務官にして、昭和二十六年一月より昭和二十七年三月三十一日に至る間、東京法務局渋谷出張所次席として、同出張所所長高田長祥の補佐の任に当るとともに、自ら不動産登記係として、同出張所に提出される不動産登記申請書を調査し、該申請書に登録税として貼付されている収入印紙及び取引高税印紙の数量及び真正品なりや否やの点について審査確認したうえ、これを受理し、更に所長不在の場合にあつては、所長代行として右印紙の検閲、消印をなす等の諸般の職務に従事していたものであるが、前記渋谷出張所構内に収入印紙売店を有する収入印紙売捌人権正永吉から、同人が同出張所構内及び構外の司法書士等に販売している消印を除去した不正な収入印紙及び取引高税印紙をこれら司法書士等をして同出張所に提出すべき登記申請書に登録税納付のため貼付して使用せしめていることを被告人において黙認していたことに関する謝礼の趣旨で供与されるものであることを知りながら、昭和二十七年三月下旬ごろ東京都渋谷区代官山町七番地東京法務局渋谷出張所において、前記権正永吉から同人の使用人泉屋キヨノを介し、現金三万円の供与を受け、もつて、職務上不正の行為をなしたことに関し賄賂を収受した(同被告人に対する昭和二十七年六月二十七日起訴状記載の事実)ものであるというのである。
(二) 被告人鹿島の職務権限について
東京法務局長鈴木信次郎作成の「元法務事務官伊藤長造外五名の職歴について(回報)」と題する書面(添付の履歴書六通中、被告人鹿島に関する分を含む)(第三冊)、同人作成の「高田長祥及び鹿島千代治の職務内容等について照会の件(回答)」と題する書面の謄本(第三冊)、被告人鹿島の供述(第一回〔第一冊〕、第三十四回〔第十一冊〕、第三十六回〔第十二冊〕及び第三十七回〔第十三冊〕)、同被告人の27・6・11及び同6・27調書(第九冊)によれば、被告人鹿島千代治は、法務府事務官として、昭和二十六年一月五日東京法務局渋谷出張所勤務を命ぜられ、爾来昭和二十七年三月三十一日同法務局町田出張所所長を命ぜられるまでの間、前記渋谷出張所次席として、同出張所所長高田長祥を補佐するとともに、同所長の指示監督を受け、不動産登記係として同出張所に提出される不動産登記申請書を審査し、該申請書に登録税納付のため貼付されている収入印紙又は取引高税印紙の数額及びその真正品であるかどうかにつき審査確認したうえ、これを受理し、なお、昭和二十六年六月十二日東京法務局長より同出張所における登記事務取扱官吏の指定を受けた後は、所長不在の場合等に自ら右印紙に消印を施して該申請書を受理する等諸般の職務を担当処理していたことを認めることができる。
(三) 被告人鹿島と権正永吉との知合関係及び金員の授受について
(1) 権正永吉が東京法務局管下の登記所に出入するようになつた経緯及びその後の状況、同人が前記渋谷出張所庁舎等の所有者となつた経緯及びその後の経過、同人が株式会社東横不動産部を設立した後、印紙取引に当るようになるまでの経過及び右取引の状況はすべて前記一、(三)、(1)に認定したとおりである。
(2) 権正永吉証言(第四冊)、権正永吉の27・6・4調書(第八冊、謄本を編綴)、被告人鹿島の供述(第三十四回〔第十一冊〕、第三十六回〔第十二冊〕及び第三十七回〔第十三冊〕)、同被告人の27・6・11調書(第九冊)によれば、被告人鹿島は昭和二十五年ごろ東京法務局中野出張所在勤中、同出張所に来合わせた権正永吉と面接したことがあつたが、その後、昭和二十六年一月前記渋谷出張所に赴任した後、同人が同出張所構内の印紙売捌所を経営し、また同出張所庁舎の所有者であることを知り、爾来同人と親しく知り合うに至つたこと及び同被告人は昭和二十七年三月下旬ごろ同出張所で、権正永吉より、同人が右売捌所で使用していた泉屋キヨノを介し、結婚祝名義で現金三万円の贈与を受けたことを認めることができる。
(四) 被告人鹿島と権正永吉間に授受された右金員の趣旨について
(1) 昭和二十七年三月中に東京法務局渋谷出張所に提出された登記申請書に消印を除去した再使用の印紙が貼付されている状況、右申請書のうちに被告人鹿島が調査、受理ないし校合をしたものがあること、(但し昭和二十七年三月二十六日まで)は前記一、(四)、(1)前段に認定したとおりであり、また、昭和二十七年二月以前に同出張所に提出された登記申請書に貼付の印紙中に、権正永吉の販売にかかり且つ消印を除去した再使用のものが果してどの程度あつたかの断定し難いことは、これ、また、前記一、(四)、(1)後段に説示のとおりである。
(2) 権正永吉の27・6・4調書(第八冊、謄本を編綴)、橋本文雄調書謄本(第三冊)、被告人鹿島の27・6・11調書(第九冊)によれば、被告人鹿島は、権正永吉より前記二、(三)、(2)に認定の金三万円の贈与を受けた当時、右金員が前記二、(一)の公訴事実掲記のような趣旨で供与されるものであることを知つていたかのようにも思われるのである。しかしながら、権正永吉の右供述調書中、被告人鹿島において、権正の販売にかかる印紙が消印を除去した再使用のものであることに気付いていたことであろうとの供述記載部分は、何故に同被告人が再使用の印紙であることに気付いていたと思われるのか、その理由を具体的に示していないばかりでなく、権正永吉証言(第四冊)、瀬戸孝雄証言(第二十一回)(第六冊)、大草明証言(第二十二回)(第六冊)、鹿島佐和子証言(第四十回)(第十四冊)、被告人鹿島の供述(第三十四回、第三十六回及び第三十七回)(第十一冊ないし第十三冊)によれば、被告人鹿島は、前記渋谷出張所に次席として勤務していた際は、主として窓口において登記申請人との応対、質疑応答等の雑務に当つていたこと、同被告人は同出張所に赴任後、権正永吉が多額の費用を支出して同出張所庁舎の増築をしたことがある旨を聞知し、権正に対してはむしろ金放れのよい人間であるとの印象を抱いていたこと、たまたま同被告人が昭和二十七年三月ごろ同出張所に勤務している婦人と結婚することとなつたが、そのころ、これを聞き知つた同出張所の職員や司法書士の間で、権正永吉に対し、同出張所庁舎の家主としていわば店子のひとりである被告人鹿島のために惜しみなく結婚の祝儀を奮発すべきであるとあおり立てる者があつて、権正も、また、その気持になつていたところ、たまたま、同被告人がレコードプレイヤー付ラジオを欲しがつている旨を聞知したため、同被告人に対し、結婚祝として右ラジオ購入の費用に充てるため、前記泉屋キヨノを介し、同出張所で、現金三万円を贈与するに至つたこと、しかして右三万円を受領した同被告人は日ごろの念願がかなう嬉しさからさつそくその旨を近親者に告げたうえ、いち早く、前記婚約者とともに都内池袋の西武デパートに赴き、右金員をもつてレコードプレイヤー付ラジオ一台を購入した後、なお、その残額をもつてレコード十枚ぐらいをも買い求め、しかも、一刻も早くこれを聴いて楽しもうというので、その場から自分でこれらの品物を自宅に持ち帰つていること、なお、同被告人は別にそのころ、同出張所の司法書士会からも結婚祝として金一万円の贈与を受けていること、かくして同被告人は、その後まもなく東京法務局町田出張所所長として赴任したうえ、同年四月三日結婚式を挙げたが、その際その披露の宴に権正の出席をも予定していたところ、たまたま、前記のとおり、同日権正が逮捕されるに至つたため、出席を得ることができなくなつたこと、他方、権正永吉は同人に対する贈賄等被告事件の審理中である昭和三十一年十月末ごろにも、もと前記渋谷出張所職員であつた大草明に対し結婚祝として現金五千円を贈呈している事実があるのみならず、被告人鹿島においても本件とは別に昭和二十六年十二月ごろ、同出張所で、権正永吉より被告人高田を介し、歳暮として、現金二、三千円ぐらいの贈与を受けた事実があることを認めることができる。これらの事実に前記二、(三)、(2)で認定した権正永吉の渋谷出張所内における特殊な個人的立場と被告人鹿島に対する平素の知合関係及び前記一、(四)、(2)に認定したような同出張所における執務の状況(この点は、被告人鹿島の前記供述、同被告人の司法警察員に対する昭和二十七年六月十日付供述調書(第九冊)、鈴木信次郎証言(第七冊)及び第二十四回公判期日で取り調べた昭和三十年七月四日の別件公判期日における証人鈴木信次郎公判速記録(第七冊に編綴してあるのはその写)により明らかである)を考え合わせると、前記二、(四)、(2)冒頭掲記の各証拠があるからといつて、被告人鹿島が平素いわゆる権正印紙と認められるものについて特に他と異る寛大な取扱いを与えてその不正を黙認していたということや、権正永吉より前記三万円の贈与を受けた当時、該金員が結婚祝儀に名を藉りた右不正黙認行為に対する謝礼の趣旨で供与されるものであることを諒知していたというようなことは、とうていこれを肯認することができない。
なお、権正永吉の販売にかかる消印除去の印紙の外観上の特異性、東京法務局長ないし同局民事行政部長名義の通達の趣旨及び領置してある前記新聞記事写真の内容については、すべて前記一、(四)、(3)及び(4)に認定説示したとおりである。(なお、被告人鹿島が右新聞記事写真に照応する新聞記事のいずれかを当時読んでいたと推認できるような証拠はなく、また、被告人鹿島が前記一、(四)、(1)前段所掲の登記申請書に貼付の各印紙が権正永吉の販売にかかるものであると認識していたことを認めるに足りる確証はない。)
その他、一件記録を精査しても、被告人鹿島が権正永吉より前記三万円の贈与を受けた当時、右金員が前記二、(一)の公訴事実掲記のような趣旨で供与されるものであることを知つていたという事実を肯認するに足りる十分な証拠はなく、同被告人に対する本件公訴事実はこの点においてその証明が十分でないことに帰着するから、刑事訴訟法第三百三十六条により、同被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。
三、被告人伊藤長造関係
(一) 被告人伊藤長造に対する本件公訴事実の要旨は
被告人伊藤長造は、法務府事務官で、昭和二十四年十一月より東京法務局日本橋出張所長として勤務し、同出張所の登記事務全般を統轄し、同出張所勤務の事務官、雇を指示監督して、同出張所構内及び構外の司法書士等から提出される登記申請書の受理、調査及び記帳をなさしめ、該申請書に登録税として貼付されている収入印紙又は取引高税印紙が真正品なりや否やにつき疑いを生じたときは、これを審査確認する等諸般の職務に従事していたものであるが、昭和二十六年春ごろより同年十二月ごろまでの間、引続き登記申請書に貼付の日頃懇意な印紙類ブローカー権正永吉等の販売にかかる取引高税印紙等が消印を除去した疑いのため、これを貼り替えさすべきや否やを決定するに際し、当該印紙に消印除去の痕跡の明瞭に認められない限り、これを真正なものとして有利な取扱いをしたことに対する報酬であることの情を知りながら、昭和二十六年十二月十日ごろ肩書自宅において、取引高税印紙売買業者権正永吉より現金二万円を収受し、もつて職務に関し収賄した(同被告人に対する昭和二十七年七月三十日付起訴状記載の事実)ものであるというのである。
(二) 被告人伊藤の職務権限について、
東京法務局長鈴木信次郎作成の「元法務事務官伊藤長造外五名の職歴について(回報)」と題する書面(添付の履歴書六通中、被告人伊藤に関する部分を含む)(第三冊)、同人作成の昭和二十七年十一月二十一日付「東京法務局日本橋出張所職員の職務権限に関する件」と題する書面(添付の別紙第一ないし第六を含む)の謄本(第三冊)、被告人伊藤の供述(第一回、第三十五回及び第三十六回)(第一冊、第十一冊及び第十二冊)、同被告人の27・7・21調書(第九冊)によれば、被告人伊藤長造は、法務府事務官として昭和二十四年十月二十六日東京法務局日本橋出張所所長を命ぜられ、爾来昭和二十七年七月三十日休職を命ぜられるまで、同出張所所長として、同出張所の事務を統轄掌理し且つ所属の職員を指揮監督するとともに、登記事務取扱官吏として、事務補助員を指揮監督して、同出張所構内及び構外の司法書士等から提出される商業登記申請書等の受附、審査及び記帳をなさしめ、該申請書に登録税納付のため貼付されている収入印紙又は取引高税印紙が真正であるかどうかにつき疑いを生じたときは所属職員の申出に応じてこれを審査確認する等諸般の職務を担当処理していたことを認めることができる。
(三) 被告人伊藤と権正永吉との知合関係及び金員の授受について
(1) 権正永吉が東京法務局管下の登記所に出入するようになつた経緯及びその後の状況、同人が前記渋谷出張所庁舎等の所有者となつた経緯及びその後の経過、同人が株式会社東横不動産部を設立した後、印紙取引に当るようになるまでの経過及び右取引の状況は、前記一、(三)、(1)に認定したとおりである。
(2) 権正永吉証言(第四冊)、権正永吉の27・7・24調書(第八冊、謄本を編綴)、被告人伊藤の供述(第三十六回)(第十二冊)、同被告人の27・7・25調書(第九冊)によれば被告人伊藤は、昭和二十二年ごろ東京司法事務局(後に東京法務局となる)登記課長在任中、前記渋谷出張所に赴いた際、同出張所職員より、同出張所庁舎の所有者であり且つ同出張所構内の印紙売捌人であるとして、権正永吉を紹介され、爾来同人と面識ある関係となつたこと及び同被告人は昭和二十六年十二月十日ごろ肩書住居において、権正永吉より忘年会費用名義で歳暮と書いた紙包み入りの現金二万円の贈与を受けたことを認めることができる。
(四) 被告人伊藤と権正永吉間に授受された右金員の趣旨について
(1) 権正永吉の27・7・24調書(第八冊、謄本を編綴)渡部政明の27・12・14及び同12・15調書(第九冊)、被告人伊藤の27・7・25調書(第九冊)によれば、被告人伊藤が権正永吉より右二万円の贈与を受けた当時、右金員が前記三、(一)の公訴事実掲記のような趣旨の下に供与されるものであることを知つていたという事実を一応推認することができるかのようでもある。しかしながら、権正永吉の前記供述調書中には、権正永吉が渡部政明や玉井岩甫、安藤実等に依頼して取引高税印紙を大量に貼付すべき商業登記申請をする会社を斡旋して貰つていたことは、被告人伊藤において了知していないと思う旨の供述記載があるほか、権正永吉が同被告人に前記二万円を贈与した事情に関する供述記載部分は、抽象的、概念的に過ぎて説得力に欠ける嫌いがあるばかりでなく、権正永吉証言(第九回ないし第十一回)(第四冊)、東京法務局長鈴木信次郎作成の昭和二十七年十一月二十一日付「東京法務局日本橋出張所職員の職務権限に関する件」と題する書面(添付の別紙第一ないし第六を含む)の謄本(第三冊)、鈴木庄吉証言(第二十一回)(第六冊)、胡口一郎証言(同上)、鈴木信次郎証言(第二十六回)(第七冊)、重久国男証言(第二十三回)(第六冊)、被告人伊藤の供述(第三十五回及び第三十六回)(第十一冊及び第十二冊)、同被告人の27・7・21調書(第九冊)を綜合すれば、昭和二十五、六年当時、前記日本橋出張所は職員六十三名を擁し、同所長である被告人の一般的監督権に基き、事務処理の便宜上、所管事務を登記申請に関する事務とそれ以外の事務に区分して所属職員の事務分担を定め、登記申請に関する事務については、その受附に関する事務を除いて、さらに、登記申請者の地域別ないし申請の種目別に、第一ないし第三部に区分してそれぞれ担当事務を分掌させ各部に法務局長より登記事務を取り扱うべき旨の指定を受けた法務府事務官(いわゆる登記事務取扱官吏)各一名を配置して係長とし、登記申請に関する事務は、すべて右各係長においてそれぞれ登記取扱官吏として、事務補助者を指揮監督して終局的に処理されていたこと、被告人伊藤は自ら登記事務取扱官吏として前記三、(二)に認定の職務権限を有してはいたが、登記申請に関する事務について自ら審査、校合の事務に当ることはごく稀で、多くは各係における登記事務取扱上必要な限度における一般的指示を行うほかは、ただ、登記完結後、一般的監督権に基き登記申請書の事後検閲事務に従事していたに止まり、従つていずれの申請書に権正永吉の販売にかかる印紙が貼付されているかを知り得べき立場にはなかつたこと、しかして、被告人伊藤は、昭和二十六年初めごろから、偽造の取引高税印紙が発見され、また、東京法務局長等より不正印紙に注意すべき旨の通達を受けたなどの経緯もあつて、印紙の取扱については特に慎重を期するよう部下職員等を指導するとともに、累増する登記事務を敏速に処理する必要をも考え合わせたうえ登記申請書に貼付の印紙に関する一応の審査基準として、拡大鏡による検査の結果、印紙の図表が乱雑となつているもの、消印の痕跡ないし消印除去の痕跡の認められるもの、紙質が簿く毛ば立つているもの、印刷の色が著しく褪色しているもの等はすべて貼替を命ずべきものとし、単に色合が多少薄い程度のものはこれを受け附け消印してさしつかえない旨を定めて部下職員に指示し、また、これがため私費を投じて拡大鏡一個を購入して備えつけるに至つたこと、しかるに前記の日本橋出張所においては、特に、昭和二十六年七月商法の一部改正に伴い、商業登記事務が激増し、連日時間外勤務制を実施してその処理に当つていたため、前記の審査基準に従い、登記申請書に貼付してある印紙が消印除去の再使用のものであるかどうかを十分識別することが事実上困難な状況にあつたことを認めることができるし、しかも、前掲権正永吉証言や被告人伊藤の供述によれば、同被告人が昭和二十五年九月ごろにも肩書自宅で権正から病気見舞として現金五千円をもらい受けている事実が認められるのであるから、これらの事実を綜合し、且つ、また、これに前記三、(三)、(2)に認定した右両名の知合関係の度合等をも合わせると、前記三、(四)、(1)の冒頭に掲げたような各証拠が一応あるからと云つて、直ちにもつて、被告人伊藤が権正永吉より前記二万円の贈与を受けた当時、右金員が前記三、(一)の公訴事実掲記のような趣旨の下に供与されるものであることを知つていたと考えるのはいささか早急に失した結論と云わざるを得ないのみならず、かえつて敍上認定の諸事情を綜合勘案すれば、権正永吉が本件二万円を被告人伊藤に供与したのは、格別、同被告人の職務関係を考慮に入れてのうえではなくして、むしろ、当時における日本橋出張所の激務繁忙の状況とその間に処する被告人伊藤の所長としての配慮、心痛、特に年末職員のため忘年会を控えての出費の増加等に対する同情の念から出たものであつて、被告人伊藤においても、また、かかる趣旨のものとして、心安だてのあまり不謹慎にもこれをもらい受けてしまつたものと解するのが、証拠判断上妥当のように思われる。
(2) もつとも、権正永吉証言(第九回及び第十回)(第四冊)、渡部政明の27・6・30調書(第九冊)、警察技師町田欣一作成の昭和二十七年六月二十一日付、同年六月二十四日付及び同年六月二十八日付各鑑定書(警視庁刑事科学研究所長作成の昭和二十七年六月二十一日付、同年六月二十四日付及び同年六月二十八日付「鑑定結果回答について」と題する各書面に添付のもの)(いずれも添付の各別紙内訳表を含む)の謄本(第三冊)、領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳計五冊(昭和二十六年七月二十八日、同年十一月二十九日、同年三月三十日、同年六月十八日及び同年五月一日分のもの)(昭和三十一年証第九号の一、四、八ないし十)によれば、昭和二十六年春ごろより同年十二月ごろまでの間に前記日本橋出張所に提出された登記申請書のうち、昭和二十六年七月二十八日受附、受附番号第二三、八七六号による日本鉱業株式会社の登記申請書に貼付の収入印紙額面千円のもの計十八枚及び額面百円のもの計十八枚(額面百円のものは他に、なお二枚貼付されている)並びに取引高税印紙額面一万円のもの計三十五枚及び額面五千円のもの計六枚)、同年十一月二十九日受附、受附番号第四四、八一二号による日本ゼオン株式会社の登記申請書に貼付の取引高税印紙、額面十万円のもの計十二枚及び額面五万円のもの計二枚、同年三月三十日受附、受附番号第八、五八五号による別子鉱業株式会社の登記申請書に貼付の収入印紙、額面千円のもの四百枚、同年六月十八日受附、受附番号第一七、六八六号による同会社の登記申請書に貼付の取引高税印紙、額面十万円のもの計五枚、額面五万円のもの計二枚及び額面五千円のもの計十枚、同年五月一日受附、受附番号第一二、〇八六号による東北パルプ株式会社の登記申請書に貼付の取引高税印紙額面五万円のもの計四枚及び額面一万円のもの計六十枚が、いずれも権正永吉の販売にかかり且つ消印を除去した再使用のものであることを認めることができるけれども、右各印紙が再使用のものであるとの警視庁刑事科学研究所文書鑑定室における鑑定は、拡大鏡及び紫外線投射器を使用し、右印紙に地模様の喪失、紙質の変化、印刷インクの変色、異常発光反応を呈することという基準に従つて時間を惜まず精密になされた検査の結果ようやく判明したものであることが前記鑑定書によつて明らかであるから、日本橋出張所の係職員らが前記一、(四)、(3)に認定したような東京法務局長ないし同局民事行政部長名義の不正印紙に関する通達を累次にわたつて受けていながら、なお、それら印紙の不正品であることを見落してしまつたからといつて直ちにこれをとらえて当該係職員が故意に不正品を黙認したものと速断するわけには行かない筋合のものであるのみならず、そもそも被告人伊藤に関する限りにおいては、同被告人が右各登記申請書の受附、審査ないし受理に関する事務に関与したことないしは右各印紙が権正永吉の販売にかかるものであることを知つていたことを推認するに足りる証拠そのものがない(なお、被告人伊藤の関係においては、前記三、(一)の公訴事実掲記の昭和二十六年春頃から同十二月ごろまでを除く期間に提出された登記申請書に貼付の印紙については別に判断を示す必要はないし、また、右公訴事実掲記の期間中に提出されたもののうちでも、昭和二十六年十二月四日受附、受附番号第四五、八五三号による日本鉱業株式会社の登記申請書に貼付の印紙については、これが消印を除去した再使用のものであるとの確証はなく、また昭和二十六年八月二十三日受附、受附番号第二八、一六五号による八幡製鉄株式会社の登記申請書及び同年九月二十七日受附、受附番号第三四、〇四三号による東京ガス株式会社の登記申請書に貼付の各印紙については、いずれもこれが権正永吉の販売にかかるものであるとの確証がない)のであるから、前記鑑定の結果によつても前段説示の結論を左右するによしなく、その他、被告人伊藤が権正永吉より前記二万円の贈与を受けた当時、右金員が前記三、(一)の公訴事実掲記のような趣旨の下に供与されるものであることを知つていたとの事実を肯認するに足りる証拠はなく、同被告人に対する本件公訴事実は、結局、この点においてその証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法第三百三十六条により、同被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。
四、被告人玉井岩甫関係
(一) 被告人玉井岩甫に対する本件公訴事実の要旨は
被告人玉井岩甫は、法務府事務官で、東京法務局日本橋出張所に勤務し、昭和二十五年十一月より昭和二十六年七月まで、同出張所受附係として、登記申請書の受理及び同申請書に貼付の収入印紙及び取引高税証紙に消印する等の事務に従事し、次いで、昭和二十六年八月以降昭和二十七年四月末日まで、同出張所第三係長として、東京都台東区、港区及び新宿区の株式会社の登記申請書の審査、校合等の事務に従事し、いずれもその間、登記申請書に登録税として貼付の収入印紙及び取引高税証紙が真正のものであるか否かを調査確認すべき職務を有していたものであるところ、権正永吉が各株式会社等に消印を除去した不正な収入印紙及び取引高税証紙を販売し、これを同会社等の登記申請書に貼付使用せしめていることを知つていたが、
第一
(1) 昭和二十六年七月二十八日より昭和二十七年四月四日までの間、同都中央区日本橋兜町二丁目四十番地東京法務局日本橋出張所において、第三係長として、同都港区赤坂葵町三番地に本店を有する日本鉱業株式会社申請の昭和二十六年七月二十八日受附、受附番号第二三、八七六号、同年十二月四日受附、受附番号第四五、八五三号、昭和二十七年四月四日受附、受附番号第二〇、二〇三号の各商業登記申請書に、権正永吉が販売した消印を除去した不正な収入印紙及び取引高税証紙の貼付されているのを知りながらこれを黙認して審査、校合し、よつて職務上不正の行為をなしたうえ、権正永吉が被告人玉井より右のように黙認して貰つたことの報酬として供与するものであることを知りながら、権正永吉から
(イ) 昭和二十六年七月末日ごろ国電渋谷駅附近中華料理店新華楼において金九千円
(ロ) 昭和二十七年四月初ごろ同所において金四千円の各供与を受け
(2) 昭和二十六年十二月二十九日東京法務局日本橋出張所において、第三係長として、同都港区芝田村町一丁目二番地に本店を有する日本ゼオン株式会社の同日受附、受附番号第四四、八一二号の商業登記申請書に、権正永吉の販売した消印を除去した不正な取引高税証紙の貼付されていることを知りながら、これを黙認して審査校合し、よつて、職務上不正の行為をなしたうえ、権正永吉が右のように黙認して貰つたことの報酬として供与するものであることを知りながら、同日前記新華楼において、金二万円の供与を受け
第二、渡部政明(当時法務府事務官で東京法務局日本橋出張所に勤務し、同出張所第二係長として、同都千代田区、文京区の株式会社の登記申請書の審査、校合等の事務に従事し、登記申請書に登録税として貼付の収入印紙及び取引高税証紙が真正のものであるか否かを審査、確認すべき職務を有していたもの)と共謀のうえ、昭和二十六年五月一日同出張所で、渡部政明において、第二係長として、同都千代田区丸の内一丁目二番地に本店を有する東北パルプ株式会社の同日受附番号第一二、〇八六号の商業登記申請書に、権正永吉の販売した消印を除去した不正な収入印紙及び取引高税証紙の貼付されているのを知りながら、これを黙認して審査、校合し、よつて、職務上不正の行為をなしたうえ、権正永吉が渡部政明より右のように黙認して貰つたことの報酬として供与するものであることを知りながら、そのころ前記新華楼において、同人から被告人玉井において金八千円(渡部政明は金六千円)の各供与を受け(同被告人ほか一名に対する昭和二十七年七月五日附起訴状記載の事実中第一、(一)(イ)(ロ)(二)及び第三の事実)たものであるというのである。
(二) 被告人玉井の職務権限について
東京法務局長鈴木信次郎作成の「元法務事務官伊藤長造外五名の職歴について(回報)」と題する書面(添付の履歴書六通中、被告人玉井に関するものを含む)(第三冊)、同人作成の昭和二十七年十一月二十一日附「東京法務局日本橋出張所職員の職務権限に関する件」と題する書面(添付の別紙第一ないし第六を含む)の謄本(第三冊)、被告人玉井の供述(第一回〔第一冊〕、第三十七回及び第三十八回〔第十三冊〕)、同被告人の27・6・24調書(第九冊)によれば、被告人玉井岩甫は、法務府事務官として昭和二十四年十月二十六日東京法務局日本橋出張所勤務を命ぜられ、爾来昭和二十五年十月までは同出張所第三部調査係事務官として、商業登記申請の審査に関する補助事務に従事し、その後、昭和二十六年七月末日までは同出張所受附係長として商業登記申請の受附及び同申請書に登録税納付のため貼付されている収入印紙又は取引高税印紙に消印を施す等の事務に従事し、次いで、昭和二十六年八月一日以降昭和二十七年五月一日同法務局大森出張所に配置換えとなるまで前記日本橋出張所第三部係長(登記事務取扱官吏)として、東京都台東区及び港区に本店を有する株式会社の登記申請書の審査、受理、校合等の事務に従事し、その間、登記申請書に登録税納付のため貼付されている収入印紙又は取引高税印紙の数額及びその真正品であるかどうかを調査、確認すべき職務を担当処理していたことを認めることができる。
(三) 被告人玉井と権正永吉との知合関係及び金員の授受について
(1) 権正永吉が東京法務局管下の登記所に出入するようになつた経緯及びその後の状況、同人が前記渋谷出張所庁舎等の所有者となつた経緯及びその後の経過、同人が株式会社東横不動産部を設立した後、印紙取引に当るようになるまでの経過及び右取引の状況は、すべて前記一、(三)、(1)に認定したとおりである。
(2) 権正永吉証言(第四冊)、権正永吉の27・7・2(第三回)、同7・3(第四回及び第五回)調書(第八冊、謄本を編綴)、被告人玉井の供述(第三十七回及び第三十八回)(第十三冊)、同被告人の27・6・26(第二回及び第三回)、同6・27調書(いずれも第九冊)によれば、被告人玉井は、昭和二十三年ごろ東京法務局渋谷出張所に在勤中、同出張所庁舎の所有者であり且つ同出張所構内の印紙売捌所を経営していた権正永吉と住居が近接していた関係などもあつて、知合いとなり、その後、昭和二十五年夏ごろには同人の前記日本橋の事務所を訪れたり、また、そのころ以来年賀のため同人宅に赴いたりしたこともあつて、懇意な間柄として交際を続けていたこと及び同被告人は権正永吉より、いずれも、国電渋谷駅附近の中華料理店新華楼において、昭和二十六年五月ごろ現金八千円、同年七月末ごろ現金九千円、同年十一月末ごろ現金二万円、昭和二十七年四月初ごろ現金四千円の各贈与を受けたことを認めることができる。
(四) 被告人玉井と権正永吉間に授受された右各金員の趣旨について
(1) 権正永吉の27・6・12、同7・2(第三回)、同7・3(第四回及び第五回)調書(いずれも第八冊、謄本を編綴)、安藤実の27・7・17及び同7・21(第二回)調書(第十冊)、渡部政明の27・6・30及び同12・14調書(第九冊)、梅園文雄証言(第四回)(第三冊)、尾崎隆仁証言(第五回)(第三冊)、佐藤正義証言(第五回及び第六回)(第三冊)、佐藤正義調書(第五冊、謄本を編綴)、松沢内記証言(第六回)(第三冊)、被告人玉井の27・6・26(第二回及び第三回)、同6・27(第四回)、同12・13調書(いずれも第九冊)によれば、被告人玉井は、権正永吉より前記四、(三)、(2)に認定の金九千円、四千円、二万円及び八千円の各贈与を受けた当時、右各金員が前記四、(一)、の公訴事実第一、(1)、(2)及び第二掲記のような趣旨の下に供与されるものであることを、その都度、知つていたともいえるかのようである。しかしながら、(イ)権正永吉及び被告人玉井の前記各供述調書によれば、被告人玉井が権正永吉より贈与を受けた前記各金員には、権正の販売にかかる印紙を、被告人玉井において、登記を申請すべき各会社に斡旋したことに対する謝礼の趣旨がそれぞれ含まれていたこと、(ロ)権正永吉の前記27・7・2(第三回)、同7・3(第五回)調書によれば、被告人玉井が権正より贈与を受けた前記金九千円には、前記四、(一)の公訴事実中、第一、(1)掲記の昭和二十六年七月二十八日受附、受附番号第二三、八七六号による日本鉱業株式会社の登記申請書に貼付された、権正永吉の販売し被告人玉井の斡旋にかゝる印紙(額面四十万円)に関する趣旨のほか、同年二月二十六日受附、受附番号第五、〇〇七号による同会社の登記申請書に貼付された、権正の販売し被告人玉井の斡旋にかゝる印紙(額面四十万円)に関する趣旨も含まれていること、(ハ)前記梅園文雄証言、被告人玉井の供述(第四十二回)(第十五冊)、領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳一冊(昭和二十七年四月四日分)(昭和三十一年証第九号の三)によれば、昭和二十七年四月四日受附、受附番号第二〇、二〇三号による前記会社の登記申請書は、同年三月二十五日同会社文書課員である梅園文雄より前記日本橋出張所で被告人玉井の許に提出され、同被告人より同出張所受附係に廻付されたが、当時右受附係長であつた安藤実が不在であつたこと、しかして、同申請書の受付につき、被告人玉井より受附係員に対し、右申請書に前記印紙が貼付されている事実を告げて、受附方の指示がなされたことはないこと(この認定に反する安藤の前記27・7・17及び同7・21(第二回)調書は信憑性に乏しい)(なお、登記申請書の受附が、本来、登記事務取扱官吏である被告人玉井のなすべき事務であることは、商業登記規則第二十二条に徴し明らかである)及び同申請書は同年四月四日本受附となり、その受附欄に「立木」と刻した角印、校合欄に「伊藤」と刻した丸印がそれぞれ押印されており、右申請書の校合事務は、被告人玉井が当時前記出張所に出勤していなかつたため、伊藤長造によつてなされたものであること、(二)警察技師町田欣一作成の昭和二十七年六月二十一日附鑑定書(警視庁刑事科学研究所長作成の同日附「鑑定結果回答について」と題する書面に添付のもの)(添付の別紙内訳表とも)の謄本(第三冊)領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳一冊(昭和二十六年十二月四日分)(前同証号の二)によれば、昭和二十六年十二月四日受附、受附番号第四五、八五三号による前記会社の登記申請書に貼付された印紙(この印紙が被告人玉井の斡旋によつて権正永吉が販売したものであることは、冒頭掲記の各証拠により明らかである)、特に額面千円の収入印紙中には、その色彩にかなり濃淡の差異があるのに、右貼付の印紙はすべて警視庁刑事科学研究所文書鑑定室における拡大鏡と紫外線投射器の使用による鑑定によつても、消印を除去した再使用のものとされていないこと、(ホ)警察技師町田欣一作成の昭和二十七年七月九日附鑑定書(警視庁刑事科学研究所長作成の同年七月十日附「鑑定結果回答について」と題する書面に添付のもの)(添付の別紙内訳表を含む)の謄本(第三冊)、領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳一冊(昭和二十六年八月二十三日分)(前同証号の十一)によれば、昭和二十六年八月二十三日受附、受附番号第二八、一六五号による八幡製鉄株式会社の新株発行による変更登記申請書に貼付の印紙中、額面千円の収入印紙計五百四十一枚は、その色彩にかなり濃淡の差異があるのに、前記文書鑑定室における前同様の方法による鑑定によつても、消印を除去した再使用のものであるとはされていないこと、(ヘ)前記尾崎隆仁証言、昭和二十七年六月二十一日附前記鑑定書の謄本、権正永吉の前記27・7・2(第三回)調書、領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳一冊(昭和二十六年十一月二十九日分)(前同証号の四)によれば、昭和二十六年十一月二十九日受附、受附番号第四四、八一二号による日本ゼオン株式会社の株式会社変更登記申請書(前記四、(一)の公訴事実第一、(2)に昭和二十六年十二月二十九日とあるのは誤記と認められる)に貼付された被告人玉井の斡旋によつて権正永吉が販売した印紙(額面合計二百十万円)中、計八十万円の収入印紙(額面千円のもの計七百枚及び同五百円のもの計二百枚)は、権正が郵便局より正規に買い入れたものであつて、消印除去の再使用のものは取引高税印紙計百三十万円に止まるのに、右印紙に関する趣旨で被告人玉井が権正より贈与を受けた金員は、前記総額面の約一パーセントに当る前記二万円であること、右変更登記(新株発行による)の申請は、同会社の資金操作の必要上緊急な処理が要請されており、同申請書貼付の印紙が消印除去の再使用のものであるかどうかにつき慎重な調査を遂げる時間的余裕がなかつたことが窺われること(なお、安藤実の前記27・7・17及び同7・21(第二回)調書中、安藤が右申請書を受け附けるに際し被告人玉井より権正の販売にかかる印紙が貼付されている事情を告げられ受附方の指示を受けたとする供述記載部分は、証人安藤実の供述(第四十回)(第十四冊)、被告人玉井の供述(第三十八回)(第十三冊)に徴し採用し難い)、(ト)被告人玉井の前記27・6・26(第三回)調書(第三項)によれば、被告人玉井は、検察官の取調に際しても、前記八千円は権正永吉の販売にかゝる印紙を東北パルプ株式会社に斡旋した謝礼として贈与を受けたと供述しているに止まること、(チ)被告人玉井の27・7・14調書(第十項)(第九冊)によれば、被告人玉井は、検察官の取調に対し、権正永吉の販売にかかる印紙が消印を除去した再使用のものであることは審査、校合当時にはなお気付かなかつたかのように窺える趣旨の供述をしていることをそれぞれ認めることができる。
(2) さらに、東京法務局長鈴木信次郎作成の昭和二十七年十一月二十一日附「東京法務局日本橋出張所職員の職務権限に関する件」と題する書面(添付の別紙第一ないし第六を含む)の謄本(第三冊)、同法務局民事行政部長渡辺源左衛門作成の通牒通達謄本集の謄本(第三冊)、権正永吉証言(第九回ないし第十一回)(第四冊)、権正永吉の前記27・7・2(第三回)、同7・3(第四回及び第五回)調書(いずれも第八冊、謄本を編綴)、鈴木信次郎証言(第二十六回)(第七冊)、安藤実証言(第四十回)(第十四冊)、安藤実の前記27・7・17調書(第五、七項)、田中喜一郎に対する印紙犯罪処罰法違反被告事件の第七回公判調書(第七冊にその抄本を編綴)中証人鈴木信次郎の供述記載、渡部政明の27・6・30(第二回)(第三項)、同8・5(第五項)、同12・14(第四・五項)同12・15(第四項)調書(いずれも第九冊)、被告人玉井の供述(第三十七回、第三十八回及び第四十一回)(第十三冊及び第十五冊)、同被告人の27・6・24(第三項)、同6・26(第二回及び第三回)、同7・14(第五回)(第六、七項)調書(いずれも第九冊)を総合すれば、被告人玉井が前記日本橋出張所に勤務当時、登記申請に関する事務は、受附に関する事務を除き、登記申請者の地域別ないし申請の種別毎に第一ないし第三部に区分して分掌され、同出張所に提出された登記申請書は、先ず、受附係で、申請書及びその添付書類が形式上整つているかどうか、登録税額に相当する印紙が貼付されているかどうか及び右印紙が真正で未使用のものであるかどうかを調査し、右印紙に消印を施して仮受附をし、その事務取扱者を明示するため、当該取扱者の認印を押捺したうえ(受附係で消印を施す取扱いとなつたのは昭和二十六年三月ごろ以降である)、前記区分に従い、特に緊急処理を要する登記申請(例えば、新株発行による変更登記申請)を除き、通常毎日四回に分けて、各部に廻付され、各部調査係で申請書と登記簿を照合し、申請を受理すべきものであるかどうかを審査して、再び受附係に廻付し、申請を受理すべきものについては、同係で受附年月日及び受附番号を記入したうえ(なお、この際には、取扱者を明示する認印はなされない)、さらに各部に廻付し、各部記入係で登記事項を登記簿に記入し、第一ないし第三部各係長において最終的に申請書と登記簿を校合して、申請書及び登記簿に校合印を押捺し、登記を完結する取扱いとなつていたこと、同出張所においては、右受附係は同出張所庁舎三階で、受附係以外の係はその二階でそれぞれ執務していたこと、同出張所においては、特に昭和二十六年七月商法の一部改正に伴い、商業登記事務が激増し、各職員はいずれも、その処理に追われる状況にあつたため、申請書に貼付の印紙が消印を除去した再使用のものであるかどうかにつき、これを判別するだけの十分な時間的余裕を持つことが困難な状況であつたこと、昭和二十五年九月以降昭和二十六年十一月に至るまでの間、屡次にわたり、東京法務局長又は同局民事行政部長名義で、同局管内の各出張所長等に対し、偽造又は再使用の取引高税印紙が管内出張所等で発見されたから、これら不正印紙の取扱いにつき各出張所職員の注意を喚起する趣旨の通達が出されていたが、これら不正印紙の鑑別基準殊に薬品処理の方法による巧妙な消印除去の取引高税印紙が流通していることについては具体的な指示説明もなく、また収入印紙については全く触れるところがなかつたこと、前記日本橋出張所においては、受附係ないし調査係で、拡大鏡を使用してこれら不正印紙の判別に当る取扱いであつて、他により精密な鑑別器具の備付もなく、申請書貼付の印紙に消印の痕跡ないし消印除去の痕跡のあるものについては貼替を命じ、これらの痕跡はないが、色彩の極めて薄いもの、鮮明を欠くものについては、所長の指示を受け、警視庁係官を通じて大蔵省印刷庁の鑑定を依頼したことがあり、その結果、色彩の薄いものでも再使用のものとは認められないとされたこともあつて、単なる色彩の濃淡だけでは消印除去の再使用のものかどうかを判別し難い状況になつていたこと、のみならず昭和二十六、七年当時においては正規の印紙のうちにもその色彩にかなりの濃淡の差があつたこと、昭和二十七年六月ごろ東京法務局より練達な係官を派遣して、日本橋出張所保管中の昭和二十六年一月分及び同年三月分登記申請書貼付の印紙につき抜取検査を実施したところ、消印除去の再使用のものと判定されたものは、肉眼によつては一件もなかつたが、螢光鑑別器を使用した際には約二十件にも及んでいること、他方、また、被告人玉井は権正永吉より、前記各金員のほか、同人の販売にかかる印紙を斡旋した都度(昭和二十六年二月ごろ日本鉱業株式会社に、昭和二十六年七月末ごろ及び昭和二十七年二月ごろ東北パルプ株式会社に斡旋した分)、印紙額面総額の約一パーセントに相当する金員の分与を受けているのであるが、あたかもそれと同じく、本件起訴にかかる前記各金員も、また、同被告人の斡旋にかかる印紙額面総額のほゞ一パーセントに相当する金額であること(この事実については、なお、領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳計六冊〔前同証号の一ないし四、十及び十三〕中、昭和二十六年七月二十八日受附、受附番号第二三、八七六号、同年十二月四日受附、受附番号第四五、八五三号及び昭和二十七年四月四日受附、受附番号第二〇、二〇三号による日本鉱業株式会社の各商業登記申請書、昭和二十六年十一月二十九日受附、受附番号第四四、八一二号による日本ゼオン株式会社の商業登記申請書、同年五月一日受附、受附番号第一二、〇八六号及び昭和二十七年二月二十七日受附、受附番号第一四、二五四号による東北パルプ株式会社の各商業登記申請書をも証拠とする)(なお、前記四、(一)の公訴事実第二に掲記の、被告人玉井が権正永吉より賄賂を収受するについて渡部政明と共謀したとの事実を認めるに足りる証拠はない)を認めることができる。
(3) また、警察技師町田欣一作成の昭和二十七年六月二十一日付及び同年六月二十四日付各鑑定書(警視庁刑事科学研究所長作成の昭和二十七年六月二十一日付及び同年六月二十四日付「鑑定結果回答について」と題する各書面に添付のもの)(いずれも添付の各内訳表を含む)の謄本(第三冊)、前記商業登記申請書綴込帳計六冊中、四冊(前同証号の一、三、四及び十)によれば、昭和二十六年七月二十八日受附、受附番号第二三、八七六号による日本鉱業株式会社の商業登記申請書に貼付の印紙中、収入印紙額面千円のもの計十八枚及び同百円のもの計十八枚、取引高税印紙額面一万円のもの計三十五枚及び同五千円のもの計六枚、昭和二十七年四月四日受附、受附番号第二〇、二〇三号による同会社の商業登記申請書に貼付の収入印紙額面千円のもの計四百枚(右各申請書に貼付の各印紙がいずれも被告人玉井の斡旋によつて権正永吉が販売したものであることは、前記四、(四)、(1)冒頭掲記の各証拠により明らかである)昭和二十六年十一月二十九日受附、受附番号第四四、八一二号による日本ゼオン株式会社の商業登記申請書に貼付の印紙(これらの印紙がいずれも被告人玉井の斡旋によつて権正永吉が販売したものであることは、前記四、(四)、(1)中の(ヘ)に認定したとおりである)中、取引高税印紙額面十万円のもの計十二枚及び同五万円のもの計二枚、昭和二十六年五月一日受附、受附番号第一二、〇八六号による東北パルプ株式会社の商業登記申請書に貼付の取引高税印紙額面五千円のもの計四枚及び同一万円のもの計六十枚(これらの印紙がいずれも被告人玉井の斡旋によつて権正永吉が販売したものであることは、前記四、(四)、(1)冒頭掲記の各証拠により明らかである)は、いずれも消印を除去した再使用のものであるが、右各印紙が再使用のものであるとの鑑別は、警視庁刑事科学研究所文書鑑定室において、拡大鏡及び紫外線照射器を使用し、これにより右印紙の地紋模様の喪失、紙質の変化、印刷インクの変色、異常発光反応を呈することという精密な基準に従つてなされていること、しかも昭和二十六年七月二十八日受附の前記申請書に貼付の収入印紙額面百円のもの合計二十枚のうち、どの十八枚が再使用のものであるかは、肉眼をもつてしては一見ほとんど識別が不可能であると思われるのみならず、その他、右各申請書に貼付の各印紙は、いずれも、肉眼をもつては、果して再使用のものであるかどうかを容易に判別し難いような状況であることを認めることができる。
(4) 前記四、(四)、(1)の(イ)ないし(チ)ならびに、(2)及び(3)に認定の各事実に前記四、(三)、(2)に認定の被告人玉井と権正永吉両名の従前における交際関係等の点を考え合わせると、前記四、(四)、(1)冒頭掲記の各証拠があるからといつて、前記四、(一)の公訴事実に照応する各金員は、世故にたけた権正永吉が被告人玉井を籠絡して自己の印紙の売込先を斡旋させた謝礼すなわち手数料として同被告人に供与したものであり、同被告人においても、また、かかる趣旨の金員としてこれらを受領したものであるとの弁解をむげに排斥して、ただひたすらに右各金員が同公訴事実第一、(1)、(2)及び第二に掲記のような報酬として授受されたものと速断することは許されないものといわなければならない。もつとも、権正永吉の前記27・7・3(第四回)調書(第八冊、謄本を編綴)、被告人玉井の前記27・6・26(第三回)調書(第九冊)によれば、被告人玉井は、昭和二十六年五月一日受附、受附番号第一二、〇八六号による東北パルプ株式会社の登記申請書に貼付された権正永吉販売の印紙を同会社に斡旋するに際し、右印紙の取引場所として都内中央区日本橋高島屋裏附近の「安兵衛」と称する小料理屋を選び、渡部政明とともに昼の休憩時間を利用して同所に立ち赴いていることを認めることができるが、翻つて渡部政明の前記27・12・14調書(第四項、第六項)(第九冊)、前記安藤実証言(第四十回)(第十四冊)被告人玉井の供述(第三十八回)(第十三冊)によれば、右「安兵衛」は前記日本橋出張所の近傍にあつて、同出張所職員のなかには、時折昼食のためこれを利用する者もあつたこと、昭和二十六年三月一日受附、受附番号第五、三七四号による前記会社の資本増加登記申請書に貼付された権正永吉の販売にかゝる印紙につき、当時同出張所第二部係長であつた前記渡部政明がこれを同会社に斡旋した際、同会社係員松沢内記の意向をも酌んで、権正永吉と同会社係員間の印紙売買取引のため選定した場所であつたこと、被告人玉井は、昭和二十六年五月一日受附にかかる登記申請書に貼付すべき印紙を同会社に斡旋するに際し、同会社係員より立会方を求められた経緯等もあつて、前記「安兵衛」を右印紙売買取引のための場所として利用した事情であることを認めることができるほか、被告人玉井の司法警察員に対する昭和二十七年六月二十一日付供述調書(第九冊)によれば、同被告人は、司法警察員の取調に対し、右印紙については、当時消印を除去した再使用のものであるとの認識を有していなかつた旨を供述していることが窺われることをも考え合わせると、同被告人において印紙取引の場所として前記小料理店「安兵衛」を選び、自らそこへ出向いて行つたからといつて、あながち不正印紙の取引斡旋をする底意があつたものと推量することはできない。その他、被告人玉井が権正永吉より前記各金員の贈与を受けた当時、右各金員が前記四、(一)の公訴事実第一、(1)、(2)及び第二に掲記のような趣旨の下に供与されるものであることを知つていたものと推認するに足りる証拠はなく(因に、被告人玉井の27・12・13調書〔第九冊〕には、前記四、(一)の公訴事実第二に関する同被告人の補充的な供述がかなり詳細に記載されているけれども、右供述調書が右公訴事実につき同被告人に対する公訴提起の後に作成されたものであることは、右供述調書及び前記四、(一)掲記の起訴状の各日付自体に徴し明らかであるところ、刑事訴訟における被告人の当事者としての地位ならびに刑事訴訟法第百九十八条、第三百十一条の規定の趣旨に徴すると、捜査官が公訴の提起後に、もつぱら当該公訴事実に関する捜査のため、当該公訴事実に関し、被告人に対する取調をなすことは、特段の事情の認められない限り、許されないものと解すべく、前記供述調書の作成につき首肯するに足りる特段の事情があつたことは何ら窺うことができないから、たとえ、右調書が本件に関する第一回公判期日前に作成されたものであつても、なお、これを証拠とすることは相当でないとも考えられるけれども、仮に然らずとするも、いまだこれをもつてしても本件公訴事実を支持するに足りないことは敍上説示のとおりである。)、同被告人に対する前記四(一)の公訴事実は、結局、この点においてその証明が十分でないことに帰着するから、刑事訴訟法第三百三十六条により、同被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。
五、被告人安藤実関係
(一) 被告人安藤実に対する公訴事実の要旨は
被告人安藤実は、法務府事務官で、東京法務局日本橋出張所に勤務し、昭和二十六年七月末ごろより同出張所受附係長として、登記申請書の受理及び同申請書に貼付の収入印紙及び取引高税印紙に消印する等の事務に従事していたところ、権正永吉が各株式会社等に消印を除去した不正な収入印紙及び取引高税印紙を販売し、これを同会社等の登記申請書に貼付使用せしめていることを知つていたが
第一、昭和二十六年七月末ごろより同年十一月ごろまでの間、東京都中央区日本橋兜町二丁目四十番地東京法務局日本橋出張所において、受附係長として、八幡製鉄株式会社申請の昭和二十六年八月二十三日付、受附番号第二八、一六五号の商業登記申請書、東京ガス株式会社申請の同年九月二十七日付、受附番号第三四、〇四三号の商業登記申請書、日本ゼオン株式会社申請の同年十一月二十九日付、受附番号第四四、八一二号の商業登記申請書及び日本鉱業株式会社申請の同年十二月四日付、受附番号第四五、八五三号の商業登記申請書に、権正永吉より買い受けた消印を除去した不正な収入印紙及び取引高税印紙が貼付使用されているのを知りながら、これを黙認して受理し、右各申請書に貼付の収入印紙及び取引高税印紙に消印し、もつて、職務上不正の行為をなしたうえ、権正永吉より右のように黙認して貰つたことの報酬として供与するものであることを知りながら、同年十一月ごろ国電渋谷駅附近中華料理店新華楼において、金五千円の供与を受け
第二、昭和二十六年十二月ごろ前記同所において、権正永吉より前記同趣旨のもとに供与するものであることを知りながら、貸借名義により金三万円の供与を受け
第三、昭和二十七年二月ごろ東京法務局日本橋出張所において、受附係長として、東北パルプ株式会社申請の昭和二十七年二月二十七日附、受附番号第一四、二五四号の商業登記申請書に、権正永吉より買い受けた消印を除去した不正な収入印紙及び取引高税印紙が貼付使用されていることを知りながら、これを黙認して受理し、同申請書に貼付の収入印紙及び取引高税印紙に消印し、もつて、職務上不正の行為をなしたうえ、そのころ前記新華楼において、権正永吉より右のように黙認して貰つたことの報酬として供与するものであることを知りながら、現金五千円の供与をうけ
もつて、それぞれ被告人の職務に関し収賄した(被告人安藤に対する昭和二十六年十二月二十五日附起訴状記載の事実及び第四十一回公判期日〔第十五冊〕における検察官の釈明)
ものであるというのである。
(二) 被告人安藤の職務権限について
東京法務局長鈴木信次郎作成の「元法務事務官伊藤長造外五名の職歴について(回報)」と題する書面(添付の履歴書六通中、被告人安藤に関するものを含む)(第三冊)、同人作成の昭和二十七年十一月二十一日付「東京法務局日本橋出張所職員の職務権限に関する件」と題する書面(添付の別紙第一ないし第六をふくむ)の謄本(第三冊)、被告人安藤の供述(第三回〔第二冊〕、第三十八回〔第十三冊〕)、同被告人の27・7・17、同7・21(第三回及び第四回)調書(第十冊)によれば、被告人安藤実は、法務府事務官として、昭和二十四年十月二十六日東京法務局日本橋出張所勤務を命ぜられ、爾来昭和二十五年四月ごろまで同出張所第二部調査係、その後、昭和二十六年七月末まで謄抄本係長を歴任して、同年八月一日以降昭和二十七年三月三十一日同法務局中之郷出張所所長を命ぜられるまで引続き前記日本橋出張所受附係長として、商業登記申請の受附及び同申請書に登録税納付のため貼付されている収入印紙又は取引高税印紙の数額を査閲し、且つこれが真正のものであることを審査確認したうえ、これに消印を施す等の職務を担当処理していたことを認めることができる。
(三) 被告人安藤と権正永吉との知合関係及び金員の授受について
(1) 権正永吉が東京法務局管下の登記所に出入するようになつた経緯及びその後の状況――同人が前記渋谷出張所庁舎等の所有者となつた経緯及びその後の経過、同人が株式会社東横不動産部を設立した後、印紙取引に当るようになるまでの経過及びその取引の状況は、前記一、(三)、(1)に認定したとおりである。
(2) 権正永吉証言(第四冊)、権正永吉の27・11・18調書(第八冊、謄本を編綴)、被告人安藤の供述(第三十八回及び第四十一回)(第十三冊及び第十五冊)、同被告人の27・7・21(第四回及び第五回)、同11・26調書(第十冊)によれば、被告人安藤は、昭和二十年九月ごろより権正永吉と知合となり、東京法務局大森出張所に在勤当時、同出張所にも出入りしていた右権正との面識関係も漸次深まり、同人が前記渋谷出張所構内の印紙売捌人であることを知るに及んで、昭和二十五年暮ごろより同人宅を訪れるようになつたが、翌昭和二十六年二月十六日結婚するに際しては、権正永吉を自己の親代りとして、相手方の身許調査の労をとつて貰つたり、いろいろ相談をもちかけたりなどしたこともあり、また、結婚後も昭和二十六年二月より同年八月ごろまでの間、同被告人の妻順子も前記東横不動産部事務所に勤務していたというような両者昵懇の間柄にあつたこと、同被告人は、権正永吉が右事務所で取引高税印紙の売買に当つていたことを同人の新聞広告により諒知していたこと、及び同被告人が、権正永吉より前記新華楼において、昭和二十六年十一月ごろ現金五千円及び同年十二月ごろ現金二万五千円(合計三万円)の貸与を受けたほか、また、昭和二十七年二月ごろ現金五千円をもらい受けたことを認めることができる。もつとも、前記権正永吉調書には、昭和二十六年十一月ごろ、権正永吉は被告人安藤より同被告人が間借中の居室を普請するため五千円を貸して貰いたいとの依頼をうけ、返済を受ける意思なしに、同被告人に現金五千円を交付した旨(第三項)及び同被告人より同年八月ごろからその妻の出産費用として五万円程度貸与方の申込を受けていたところ、同年十二月に至り、強いて返済を求める意思なしに、現金三万円に減額して同被告人に交付した旨(第四項)の各供述記載があつて、昭和二十六年十一月に授受された五千円のほかに同年十二月に三万円の授受がなされたかのようにも一応思われるけれども、被告人安藤の供述調書には、権正永吉調書中の右供述記載と時期的且つ金額的に照応する供述記載はなく、前記五、(三)、(2)冒頭に掲げた各証拠により認められる同被告人の家庭の状況(とくに同被告人の長男が昭和二十六年十二月十四日都内渋谷区広尾病院で出生したこと)、同被告人と権正永吉との交際の程度、右合計三万円貸借の経緯及びその返済の経過等に徴し、前記権正永吉調書中この点に関する供述記載部分はにわかに採用することはできない。
(四) 被告人安藤と権正永吉間に授受された右各金員の趣旨について
(1) 権正永吉の27・11・18調書(第八冊、謄本を編綴)、被告人安藤の27・7・17、同7・21(第二回)、同11・26調書(第十冊)によれば、なるほど被告人安藤は、権正永吉より前記五、(三)、(2)に認定の現金合計三万円(金五千円及び二万五千円)の交付を受けた当時、右各金員が前記五、(一)の公訴事実第一及び第二に掲記のような趣旨の下に供与されるものであることを知つていたともいえるかのようである。しかしながら、(イ)警察技師町田欣一作成の昭和二十七年六月二十一日付鑑定書(警視庁刑事科学研究所長作成の同日付「鑑定結果回答について」と題する書面に添付のもの)(添付の別紙内訳表を含む)の謄本(第三冊)、領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳一冊(昭和二十六年十二月四日分)(昭和三十一年証第九号の二)によれば、昭和二十六年十二月四日受附、受附番号第四五、八五三号による日本鉱業株式会社の登記申請書に貼付されている印紙(額面合計四十万円)(この印紙が権正永吉の販売にかかるものであることは、前記権正永吉調書によつても明らかである)は、警視庁刑事科学研究所文書鑑定室における拡大鏡及び紫外線投射器の使用による鑑定によつても、消印を除去した再使用のものとはされていないが、右印紙、なかでも額面千円の収入印紙にはその色彩にかなり濃淡の差異があること、(ロ)右権正永吉調書(第三項)には、いかにも消印を除去した再使用のものであるとの疑いある印紙を権正永吉が被告人玉井の斡旋で前記会社に販売していたことを被告人安藤が了知していた旨を窺わせるような趣旨の供述記載もあるけれども、被告人安藤の前記27・7・17(第五項)、同7・21(第二回)(第二項)には、被告人安藤は被告人玉井が右会社の登記係員を権正永吉に紹介し、その報酬として金員を貰つたりしていることを承知していた旨の供述記載があるに止まること、(ハ)被告人安藤の前記27・7・21(第二回)調書には、前記五、(一)の公訴事実第一及び第二に掲記の日本鉱業株式会社(昭和二十六年十二月四日受附のもの)、日本ゼオン株式会社(同年十一月二十九日受附のもの)、八幡製鉄株式会社(同年八月二十三日受附のもの)及び東京ガス株式会社(同年九月二十七日受附のもの)の各登記申請書の受附に関し、その都度、権正永吉より一万円ないし五万円(少くとも合計八万円)を受領した旨及び右八幡製鉄株式会社の登記申請書に貼付の印紙は、被告人玉井が権正永吉のため同会社に販売方を斡旋したものである旨の各供述記載があるのに、権正永吉調書(第八冊に謄本計十二通を編綴)には、これに照応する趣旨の供述記載がないほか、右各印紙の販売が被告人玉井の斡旋したものであるとのことはもち論、権正永吉の販売にかかるものであるということすらこれを肯認するに足りる証拠もないこと、(ニ)被告人安藤の供述(第三十八回)(第十三冊)、同被告人の前記27・7・21(第二回)調書、領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳一冊(昭和二十六年九月二十七日分)(前同証号の十二)によれば、被告人安藤は右会社よりの申請書貼付の印紙中、額面一万円の取引高税印紙計二枚につき、その表面に朱肉ないしスタンプインクの痕跡が認められたため、その貼替を命じていること、(ホ)前記権正永吉証言、被告人安藤の供述(第三十八回及び第四十一回)(第十三冊及び第十五冊)、昭和二十六年十二月十二日付借用証(第十五冊にその写真を編綴)によれば、被告人安藤は権正永吉より受領した前記三万円は被告人安藤が権正永吉に右借用証を差し入れた昭和二十六年十二月十二日に同人から借り受けたものであつて、現にその後、最初の割賦返済期限が到来した直後である昭和二十八年一月より昭和三十一年十二月二十日ごろに亘つて逐次返済していること、(ヘ)しかして、前記権正永吉調書(27・11・18、第四項)によれば、右三万円については頭初権正永吉が昭和二十六年八月ごろより被告人安藤から妻の出産費用として金五万円程度借り受けたいと申込を受け、一応これを承諾していたところ、同年十二月ごろ、いよいよ出産も間近いからというので、さらに同被告人より督促を受けた結果、結局これを貸与するに当つて将来その返済能力等を顧慮したあげく、しいてその額を三万円に減額した経緯であることを認めることができる(なお前期借用証によれば、同借用証に記載の借用金額は三万円と訂正されているのに、返済条件に関する記載は訂正されず、金五万円についての返済条件が記載されたままとなつているため、或いは被告人安藤と権正永吉間において前記合計三万円が返済されるべきものであるとの関心を有せず、また、右借用証の作成により右三万円が前記公訴事実に掲記のような趣旨の下に授受されたことを偽装しようとしたのではないかとの見方もできないではないが、他方、視点を変えて考えると、右三万円について右借用証に記載したとおりの返済条件に従つて返済を受けることは、むしろ、権正永吉にとつて有利にこそなれ不利となるものではなく、また、右借用証の作成が右のような偽装の意図に出たものとすれば、かえつてその返済条件をも借用金額に符合するよう訂正がなされるのがむしろ筋合であるとの解釈もできるのであつて、右借用証記載の借用金額と返済条件との喰違いもさして右証拠判断を左右するものではない)。
(2) また、権正永吉の27・7・3(第四回)、同11・18調書(第八冊、謄本を編綴)、被告人安藤の27・7・17、同7・21(第五回)調書(第十冊)によれば、被告人安藤は、権正永吉より前記五、(三)、(2)に認定の五千円(前記五、(一)の公訴事実第三に照応するもの)の交付を受けた当時、右金員が右公訴事実に掲記のような趣旨の下に供与されるものであることを一応、知つていたともいえるかのようである。しかしながら、(イ)権正永吉の右27・7・3(第四回)調書(第五項)には、その金額及び授受の場所として右公訴事実と符合しない趣旨の供述記載があるうえ、(ロ)さらに権正永吉の右27・11・18調書(第七項)には、右五千円は、権正永吉が前記四、(四)、(4)に認定の小料理店「安兵衛」で東北パルプ株式会社に印紙を販売した際立会いの労をとつた被告人安藤に対する謝礼の趣旨で渡されたものであることの窺われるような供述記載があること、(ハ)警察技師町田欣一作成の昭和二十七年六月二十四日付鑑定書(警視庁刑事科学研究所長作成の同日付「鑑定結果回答について」と題する書面に添付のもの)(添付の別紙内訳表を含む)の謄本(第三冊)、鈴木信次郎証言(第二十六回)(第七冊)、立木浩証言(第二十二回)(第六冊)、被告人安藤の供述(第三十八回及び第四十一回)(十三冊及第十五冊)領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳一冊(昭和二十七年二月二十七日分)(前同証号の十三)によれば、昭和二十七年二月二十七日受附、受附番号第一四、二五四号による東北パルプ株式会社の株式会社変更登記申請書(新株発行によるもの)に貼付の印紙中、取引高税印紙額面十万円のもの一枚、同千円のもの三十五枚中十六枚、及び収入印紙額面千円のもの二百五十五枚中二百二十五枚が消印を除去した再使用のものである(その鑑定方法及び鑑別基準は前記四、(四)、(3)に説示したところと同様である)が、右額面千円の取引高税印紙及び収入印紙中いずれが再使用のものであるかは肉眼をもつてはとうてい判別し難く、また、同申請書の受附欄には、受附事務取扱者を明示する趣旨で「立木」と刻した角印が、その校合欄には校合事務取扱者を明示する趣旨で「鈴木」と刻した楕円形印がそれぞれ押捺され、右申請者の印紙貼付台紙の次に、前記額面十万円の取引高税印紙一枚は真券であつて、未使用のものである旨の印刷庁研究所研究技官(大蔵技官)野中晴彦作成名義の意見書が添付されていること(なお、被告人安藤が前記「安兵衛」で右印紙の取引に立ち会つた際、ことさら右申請書及びこれに貼付してある右印紙の審査、鑑別に当つたことを認めるに足りる証拠はない)、しかして、当時、被告人安藤は、前記日本橋出張所における登記事務輻輳のため、受附に関する事務はほとんど挙げてこれを同係所属の雇員である立木浩に担当処理させ、自らは同出張所第一部ないし第三部所管の登記事務につき、所長である伊藤長造(登記事務取扱官吏)の指示により、機動的に校合事務を代行する等のことが多かつたことを認めることができる。
(3) 東京法務局長鈴木信次郎作成の昭和二十七年十一月二十一日付「東京法務局日本橋出張所職員の職務権限に関する件」と題する書面(添付の別紙第一ないし第六とも)の謄本(第三冊)、渡部政明の27・6・30(第二回)調書(第三項)(第九冊)、被告人安藤の前記27・7・17(第四項)、同7・21(第三・第四回)(第一項)、同被告人の供述(第三十八回及び第四十一回)(第十三冊及び第十五冊)によれば、被告人安藤が前記日本橋出張所に勤務当時、登記申請に関する事務は、受附に関する事務を除き、登記申請者の地域別及び登記申請の種別毎に第一ないし第三部に区分して分掌され、同出張所に提出された登記申請書は、先ず、受附係で、申請書及びその添付書類が形式上整つているかどうか、登録税額に相当する印紙が貼付されているかどうか及び右印紙が真正で未使用のものであるかどうかを審査確認したうえ、右印紙に消印を施して仮受附をし(受附係で消印がなされる取扱いとなつたのは昭和二十六年三月ごろ以降である)、その取扱者を明示するため、当該取扱者の認印を押捺した後(右認印は昭和二十六年八月ごろより所長の了解を得て、現実にその事務に当つた者が雇員であつても、認印する扱いとなつた)、前記区分に従い、特に緊急処理を要するもの(例えば新株発行による変更登記申請)を除き、通常毎日四回に分けて各部へ廻付され、各部調査係で、申請書と登記簿とを照合し、申請を受理すべきものであるかどうかを審査して、再び受附係に廻付し申請を受理すべきものについては同係で本受附をして、さらに各部に廻付し、各部記入係で登記事項を登記簿に記入し、第一ないし第三部係長において最終的に申請書及び登記簿を校合して、申請書及び登記簿に校合印を押捺し、登記を完結する取扱いとなつていたこと、同出張所においては、右受附係は同出張所庁舎三階、その他の係は同二階でそれぞれ執務していたこと、前記東京法務局長作成の「東京法務局日本橋出張所職員の職務権限に関する件」と題する書面の謄本、同法務局民事行政部長渡辺源左衛門作成の通牒通達謄本集の謄本(第三冊)、渡部政明の27・8・5(第四、五項)、同12・14(第四項)、同12・15(第四項)(第九冊)、被告人安藤の前記供述、同被告人の前記27・7・17(第五、第七項)、同7・21(第二回)(第二項)調書によれば、昭和二十五年九月以降昭和二十七年二月にいたるまでの間、累次に亘り、東京法務局長ないし同局民事行政部長名義で、同局管内の出張所長等に対し偽造又は消印を除去した再使用の取引高税印紙が管下出張所等で発見されたから、これら不正印紙の取扱いにつき注意を喚起する趣旨の通達が出されていたが、これらの通達にはいわゆる不正印紙の鑑別基準及び薬品処理のような巧妙な方法による消印除去のものが流通していることについては、何ら具体的指示説明もなく、また、収入印紙については全く触れるところがなかつたこと、他方、右日本橋出張所においては、特に昭和二十六年七月商法の一部改正に伴い、商業登記事務が激増し、その処理に追われる状況にあつたため、申請書に貼付の印紙が果して消印除去の再使用のものであるかどうかを判別するだけの十分な時間的余裕を持つことが困難な状況であつたこと、同出張所では受附係で拡大鏡(直径十センチメートルぐらいのもの)を使用して、これら不正印紙の判別に当る取扱いであつて、他により精密で適確な鑑別器具の備付もないので、申請書貼付の印紙に消印又はその除去の各痕跡のあるものについては貼替を命じ、印紙にこれらの痕跡はなくても、その表面が著しく毛ば立つているとか、或は朱肉の痕跡と疑われるものが残存しているものについては、所長の指示を受けてその措置を決し、また、場合によつては警視庁係官を通じて大蔵省印刷庁に鑑定を依頼したことなどもあつて、しかもその結果再使用のものではない旨の回答に接した事例も皆無ではないこと、警察技師町田欣一作成の昭和二十七年六月二十一日付、同年六月二十四日付及び同年七月九日付各鑑定書(警視庁刑事科学研究所長作成の昭和二十七年六月二十一日付、同年六月二十四日付及び同年七月十日付「鑑定結果回答について」と題する各書面に添付のもの)(いずれも添付の別紙内訳表とも)の謄本(第三冊)、領置してある東京法務局日本橋出張所商業登記申請書綴込帳計三冊(昭和二十六年十一月二十九日付、同年八月二十三日付及び同年九月二十七日分)(前同証号の四、十一及び十二)によれば、昭和二十六年十一月二十九日受附、受附番号第四四、八一二号による日本ゼオン株式会社の株式会社変更登記申請書(新株発行によるもの)に貼付の取引高税印紙額面十万円のもの十二枚及び同五万円のもの二枚、同年八月二十三日受附、受附番号第二八、一六五号による八幡製鉄株式会社の新株発行による変更登記申請書に貼付の印紙中、取引高税印紙額十万円のもの十三枚、同五万円のもの十四枚及び同一万円のもの二十三枚ならびに同年九月二十七日受附、受附番号第三四、〇四三号による東京ガス株式会社の登記申請書に貼付の取引高税印紙額面十万円のもの四枚は、いずれも警視庁刑事科学研究所文書鑑定室における前記四、(四)、(3)に説示の方法及び基準により、消印を除去した再使用のものであると鑑別されているが、肉眼をもつてしては果していずれが再使用のものかとうてい判別し難いこと、また、八幡製鉄株式会社及び日本ゼオン株式会社の右各申請書に貼付の印紙中、額面千円の収入印紙計五百四十一枚ならびに額面千円の収入印紙計七百枚及び同五百円のもの計二百枚には、それぞれその色彩に若干の濃淡の差があるのに、前記文書鑑定室における同様の方法及び基準による鑑定によつても、再使用のものとされていないこと、他方、また、権正永吉の前記27・11・18調書、被告人安藤の供述(第三十八回)(第十三冊)、同被告人の前記27・11・26調書(第三項)(第十冊)によれば、被告人安藤は昭和二十六年二月ごろ権正永吉より、結婚準備のための費用として金二万円を借り受け、前記三万円の借受前に当時結婚祝いとして貰い受けた金員および共済組合よりの借入金をもつて、これを返済しているほか、同被告人は同人より小遣銭として、千円ないし二千円前後の金員の贈与を受けることがたびたびであつたことを認めることができる。
(4) 前記五、(四)、(1)中の(イ)ないし(ト)、(2)中の(イ)ないし(ハ)及び(3)に認定した各事実に前記五、(三)、(2)に認定した被告人安藤及び権正永吉両名の親近関係を考え合わせると前記五、(四)、(1)及び(2)各冒頭に掲げた証拠だけをもつてしては、被告人安藤が権正永吉より交付を受けた前記五、(三)、(2)に認定した各金員が前記五、(一)の公訴事実第一ないし第三に掲げるような趣旨の下に供与されたものであるということ及び被告人安藤においても、また、当時その情を知つてこれを受領したものであるということは、いずれもこれを肯認することができない。しかも、他にこれを確認するに足りる証拠はなく、被告人安藤に対する本件公訴事実は、結局、この点においてその証明が十分でないことに帰着するから、刑事訴訟法第三百三十六条により同被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。
そこで、主文のとおり判決する。
(裁判官 樋口勝 西村法 佐野昭一)